利賀を彩った人々PEOPLE

1922年生まれ。
小説家、天台宗の尼僧。主な著書に『田村俊子』、『夏の終り』、『かの子繚乱』、『美は乱調にあり』など。

利賀フェスティパル
 昔から、私は早稲田小劇揚の鈴木忠志さんの芝居が好きだった。大体前衛と名のつく芸術には、無条件に好意的になる性質や嗜好を持っている人間なのだ。鈴木さんの解釈によれば、前衛とは、「時代の危機を最も敏感に感じ取り、時代の問題を演劇に反映させたいと心から望んでいる人たちを前衛芸術家と呼ぶ」という。とすれば、芸術家と自負する者は、すべて前衛であらねばならないはずだ。たとえ古典の道をなぞっていようが、精神は前衛でなければ、その芸術は現代に生きる意味がなくなってしまう。
鈴木さんが10年前から、富山の山奥の利賀村に、居を移し、そこに残っている合掌造りの建物を劇場にして、自分たちの芝居を演じはじめたのは知っていた。鈴木さんの中には「演劇とはもともと広場である」という考えがあって、その広場づくりを、大都会の中ではなく、富山の市中から、車で1時間半もかかるような山中の過疎村に選んだところに、鈴木さんの思想がある。私はサガノ・サンガも、広場だと思っている。私はこの広場をつくる時、仏教の原点に帰るべきだと思い、ここに集まってくる人々が、他者との時間、仏との時間を共有して、考え、対話し、討論し、祈ってほしいと考えていた。
鈴木さんの利賀村移住は、私の出離に2年遅れていたが、鈴木さんが前途に感じた危機感は、私が出離前に感じたものと同質のものであろうと想像していた。
鈴木さんは演出家として名をなした人なのに、利賀村に入り、そこで新しい演劇運動をはじめ、4、5年後には世界演劇祭に発展させ、今では毎年夏に利賀フェスティバルを開いて、世界の各国から演劇人がそこに集まるようになって、今や富山の利賀の名物ではなく、日本の名物に仕立て上げてしまった。壮挙と呼んでいいだろう。毎年あこがれていながら、いつも行きそびれていたので、今年は思いきって、出かけてみた。もう60を越せば思いたったことはその場でしておかないと、悔いが残るかもしれないというのが近ごろの私の感想である。
富山の駅から、えんえん、1時間半車にゆられて利賀村に着いた時は、もうすっかり夜もふけていて、野外劇揚では、すでに「トロイアの女」が演じられていた。
磯崎新氏のまるでギリシャの神殿のような幻想的な野外劇場が、湖に面して建っていて、そこで演じられている芝居が、照明に映えて、湖面にもうつり、いきなり異次元の世界に運び出されたような錯覚を覚えた。
「王妃クリテムネストラ」もひきつづいて階段上の観客席から眺めた。世界の各国から集まった人々に、日本人の老いも若きもまざりあった各層の客が座っている。まさに人種の交流の広場がここにあり、この人々のすべてが、あの遠い路のりをはるばる、ここに来たいという共通の情熱に支えられて集まったと恩うと、深い感動がわきあがってきた。瞼の裏に熱いものを感じながら、「コロンブスの卵」の話を思い浮かべていた。来年もまた来ようと、私は高い星空を仰いで切に思った。
(1985)